茅ヶ崎でも浸水被害が…
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砂漠と化した決壊箇所
3000万円のお米が泥の下に…
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無残な新築家屋
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<新潟三条市の大水害に学ぶ>
堤防の安全性 日本の土地はかちかち山
五十嵐川は、包丁やスプーンで有名な新潟県三条市内で信濃川に注ぐ。2004年7月13日午後1時10分、三条市五十嵐川決壊。同14時20分見附市刈谷田川決壊。いずれも信濃川水系。5つのダムが洪水調整したにもかかわらず、11箇所が決壊。13日の降水量は216ミリであったという。住宅被害14000戸、死傷者18名。参加したボランティアは延べ23、000人余り。
8月2日、我々民主党県議一期生4名(岩本・北井・松崎・本村)は早朝5時に横浜を出発し10時30分に三条市に到着、ボランティアの受付をしている総合福祉センターに向った。既に何人かのボランティアが各々依頼先へと向っていた。我々は他の3名のボランティアと合流し、川村さんと云う方のお宅に伺い、床下にたまった汚泥の除去を行うようにとの指示がなされ、スコップ、じょれん、バケツなどが貸与された。
街を飲み込んだ濁流は下水と混ざり、雑菌と有機物を大量に含んだ汚泥は畳や家具に染み付き、床下に堆積する。水が引いて乾燥しても、この汚泥が強烈な悪臭を放ちながら病原菌をばらまく!街は悪臭と殺菌剤の匂いでむせ返っていた。水害で一番厄介なのは、水の引いたあとに残される大量の汚泥であった。表面は何でも無い家でも、一歩屋内へ入ると5分もいられないほどの創造を絶する強烈な臭い。そこに人々は住んでいた。
川村宅は築5〜6年で、和室は無く、一階部分はフローリングとなっていた。そのため、床下の泥の量も3〜4センチ弱と比較的少量であり、畳が腐るなど最悪の状態は避けられていた。しかし臭いは強烈だ。その数軒となりの古い木造の家は、畳も床板も腐っている。壁にも汚泥がしみつき、床下には10数センチの汚泥が堆積していた。おそらくこの家は乾燥しても住めないだろう。
ボランティア達は、強烈な悪臭とうだるような暑さの中、床下にもぐり込み泥を掻きだす。乾いて固まった汚泥をスコップで削り、じょれんで引き上げ、土嚢に入れる。単純作業が延々と続く。汗は川のように溢れ出た。川島さんの奥様がスイカを提供してくれる。今までで一番甘くておいしいスイカだった。それこそ必死の作業により、夕方5時には、土嚢にして30袋にのぼる汚泥が掘り出され、川村宅は悪臭から解放された。
川村宅は、五十嵐川が信濃川に注ぐ河口に近い。洪水はこの辺の堤防決壊が原因かと思っていた。「いや、水はあっちの方向から来たんですよ」と川村さん。彼女の指さす方向は川の上流方向であった。
市街地付近の川幅は50メートル程度、7〜8メートルの堤防の上を車が行き交う。堤防のすぐ脇には民家が密集している。恐い事に、地面の高さが川面と変わらない。
被害が最も大きかったという三条駅北側に行ってみた。道路脇にゴミが積まれている。街全体が悪臭に包まれている。自転車店のご夫婦は「あっという間に…そう10分か20分かの間に腰まで水がきて…逃げる間もなかった。でもここから少し先が一番ひどかったね」と、さらに上流方向を指差す。どうやら、避難勧告が出ていなかったのは真実らしい。そこから1キロほど上流方向の、三条駅附近が最も被害がひどかった。水は胸の高さにまで上がり、電気製品も家具も使い物にならないという。
さて、私は被害の最もひどい地域の近くが決壊したものと思い、三条駅近くの堤防に向った。しかし堤防は緑におおわれ、上部には車が平然と走っている。堤防を越え、泥の砂漠と化した河原を1キロほど上流へと歩き、堤防脇のガソリンスタンドに入る。決壊場所を尋ねると、そこからまだ4キロも上流だという。炎天下を大分歩いてしまった。近くに一休み出来る所はと尋ねたが、ファミレスどころかコンビニもなかった。仕方なく缶ジュース片手にしばらく行くと、側溝の泥を除去しているボランティアの一行に出会った。「ここだ!」と、直感で川に向かうらしき小道に入る。すると広い砂漠に視野が開けた。遠くに大型のショべルカーが動き、トラックが猛烈な砂ぼこりを高く舞い上げながら走っている。作業中の男性に声をかける。
「この辺ね、田んぼだったんだよ。これね、穂先…」私は砂漠のあちこちに生えているのは雑草だと思っていたが、汚泥に埋もれて残った稲の穂先だという。という事は、この一帯は50〜60センチの泥で覆われているという事だ。ここだけで3千万円の米が泥の下敷きになってしまったという。
堤防に向って歩く。照りつける太陽、泥はほとんど乾いてはいるが、靴がめり込む。そこらは畑だったのだろう、トマトかナスの竹垣が無惨な姿を見せている。川が近いせいか、街に充満しているほどの「特有の薫り」はない。決壊部分の堤防を昇ると、今は恐怖の面影もない、たおやかに流れる五十嵐川があった。しかし不思議な事に、流れはそこから左方に曲がっており、決壊部分は流れが直撃する場所ではない。
〜日本の堤防は溢れたらお手上げ!〜
「土手」は砂の芸術
嬉しい事に、さっきの作業員が近づいて来て話をしてくれた。「向こう岸にあたった流れが跳ね返る感じで、こっち側にあふれたんだよ。水は滝のように堤防を越え、堤防の下がえぐられて滝壺みたいになって…。この堤防、川側はコンクリートで固められているが、反対側は砂だから、堤防の外側が削られて最後にコンクリの土手が倒れたんだ。あの新築の家ね、家ごと船みたいに浮いたんだ。」彼は、堤防が砂であったこと、堤防はこちら岸が低いこと、河川敷をなくしてしまったことなどを語り、最後に「これは、人災さ。川の仕事をしてりゃあ、いつかこうなるってみんな思っていたさ」とつぶやいた。それにしても、ここから流れ出した水が、6〜7km下流方向の三条駅周辺を、胸までつかるプールにしてしまうとは、一体どれ程の水量だろう…自然の力はものすごい!
恐ろしい事に、日本の堤防は砂で良い事になっている。ドイツでは、コンクリートの堤防を造り、土で覆って自然の風景に溶け込ませている。「日本の堤防は、水を止めるのが目的。国は、溢れる事を想定していないのです。」と、県の専門家はさらっとおっしゃる!
平成16年7月の福井県あすわ川洪水では、死傷者24名、床上浸水3300戸、床下浸水1万余戸の大被害を出した。総被害額は300億円を越える。これも、50ミリ対応の低い堤防と、砂を盛っただけの「土手」が原因である。現在、川底の改修と堤防の外側をコンクリートで固める工事を行っているが、「あとの祭り」である。
例の新築家屋に立ち寄る。床下の土がえぐられ、配管も露出している。家ごと水に浮き、3mも押し流されてしまったのだ。土台の中はプールと化している。この自然の暴力に対抗するには一体どうすればいいのか?一時間あたり100ミリを越す大雨が、頻繁に降るようになるというのに…。
考えていると、そこに3人のご婦人が車でやってきた。大声で笑いながら、傾いた家をバックに交替で記念写真を撮っている。そういえば、ロス大地震の後、行政視察と称してロスに行き、壊れた橋の前で記念写真を撮るという阿呆な政治家がいたとか…人の不幸にうかれる困った日本人。この際、人災の一つとして問題にしなくては……。
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